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なぜモチベーションが高いのか。それは・・・

高校生くらいまでは感性が強い。
大人になるにつれてものごとを理屈で捉えるようになる。理屈で考えることで効率は良くなってくるが定着力は弱くなる。感覚で捉えることは効率は悪いがしっかりと体に残る。
生涯心と体に残ることはそういった感性で捉える時期に出会ったものではないだろうか。
そう考えたとき今の子どもたちにそのような出会いはどれだけあるのだろうか。

心理学は様々なヒントを与えてくれることがある。
ある実験で個室に学生を入れて机の上にパズルをおいておく。一つはこのパズルを時間内に解くと報酬を与えるという条件をつけ、もう一つは何も指示せずにただパズルをおいておくだけという中で学生はどういう行動をとるかというものであった。(と思う)
条件付けられた部屋の学生は一生懸命パズルに取り組んだが時間になるとやめてしまった。
条件を与えられていない方はなんとなくパズルを始めていたが時間を気にせずパズルを解き続けることに熱中していたものが多かったそうである。
この実験は内発的動機付けと外発的動機付けというものに付いての実験であった。
外発的動機付けとは一時的にモチベーションを高める効果はあるが長続きせず、内発的動機付けによって高まったモチベーションはより持続力があるということであった。
本当にやりたいと思ったことは継続して取り組むことができると言うことである。
我々の感覚では一つのことをじっくりやり続けていればそこに何かを見出し楽しさも感じれるようになるという考え方が一般的かもしれない。
何度もころころとやりたいことを変えることには否定的な考えが多い。
日本人は非合理的なことに高いテンションを持って取り組む、欧米人は合理的でないことには積極的に取り組まないとある人が言っていた。

確かに日本人は無駄ではないかと思われるところに大変な意識を払う傾向がある。外国人からみれば何でこんなところに神経を使うのかというところに。しかしその超無駄なところが日本のものづくりを世界が認める品質の高さにまで押し上げたのも事実である。

とにかく今の高校生にどのようにしたらモチベーションを高めさせることができるのだろうか。人がなんと言おうとやりたいと思えることを持つにはどうしたら良いのか。

マンガがフランスでクールな日本文化としてはやっているのだそうだ。
マンガの歴史は古い。男もマンガの影響を受けたひとりである。
小学の頃はドカベン。銀河鉄道999。こまわりくんや東大一直線などのギャグマンガも流行った。
そんな中で男が最も影響を受けたマンガが「1・2の三四郎」と「空手バカ一代」であった。

ギャグと劇画の違いはあるがどちらも男にとって生き方のお手本のようなものだった。少年時代、マンガや映画は自分の知らない世界を知るための良き教材であった。どちらのマンガも一般の常識をはるかにぶっちぎっていた。ぶっちぎるということが男にとって最も凄いことだった。

こんな生き方をしてみたい。こんな人間になりたいと真剣に考えていた。
それから何十年もたって今一度読み返してみたが再びあの頃の思いが蘇ってくる。そして今の自分を振り返るとその性格や行動に確実に血となり肉となり現れていると感ずるのだ。
ディープインパクトを上回るインパクトである。どこまでもバカ一代なのである。

マンガはその時代を反映するものであるが、例えマンガであっても良い作品に出合えるということは人生を変えることにつながる。
そして唐突ではあるが「アントニオ猪木」。今の猪木しか知らない人はかわいそうである。
男はアントニオと札幌中島スポーツセンターのトレーニング室で偶然出会ったことがある。確かベンチプレスか何かをしていたことをおぼえている。全盛期の猪木はとてつもなく凄かった。

男がアントニオを知ったのは、祖母の影響である。小学低学年の頃、当時80を越えるばあちゃんの大好きな番組と言えば相撲中継とワールドプロレスリングであった。ばあちゃんは猪木が好きであった。
深夜こっそり間借りしていた家の居間にあったテレビをイヤホンで視聴しながら2人でエキサイティングしていたことを覚えている。ちなみに母はプロレスが大嫌いであった。

何回かプロレスをライブで見たことがあるが、実際猪木のかもし出すオーラはとてつもなく凄かった。そして「いつなんどき誰の挑戦でもうける!」というフレーズに心を奪われていた。
中学の頃調子に乗ってそのフレーズを使い袋叩きにあったことがある。誰でも使えるフレーズではないのである。
猪木の凄さはそのすさまじい執念である。やられればやられるほど燃えてくるのである。燃える闘魂とはよく言ったもので魂というものの凄さを教えてくれた。

男もやられればやられるほど燃えてくる人間である。
やられにやられた猪木が立ち上がって反撃するときには手段を選ばない。確実にしとめる技を使うのである。猪木がこぶしで顔面を殴る反則を犯しても、解説者は「出ました猪木のナックルアロー!」などと技として認定してしまう凄さがある。

アントニオの話は語ると一冊の本になってしまうのでやめておこう。
要するに感性で生きていた少年時代にぶっちぎった男たちが生きる手本になったのである。
たのきんトリオやアイドルに熱中する周りの連中とは完全に異なった道を歩んでいた。
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by stagecoach | 2006-12-27 23:43

モチベーション!

その日のトレーニングを充実させるために必要なことは何か。
高いモチベーションを持ち、チャレンジする気持ちで取り組むこと。
これが何よりも大切だ。

モチベーションと言えば・・・
男は昔の自分を振り返っていた。中学一年の冬だった。
地元に名画座という古い映画館があった。
感動するから見に行こうぜと友達に誘われて、それほど乗り気ではなかったのだが、ある映画を見に行った。「ロッキーⅠ、Ⅱ」。
観ているうちに友達以上に熱くなっていく自分がいた。

以前「チャンプ」というボクサーである父と子の物語を見ていたため、感動するってまた誰かが死んでしまう可哀想な話か・・と思った。
とんでもなかった。金も頭も実力も無いしがないチンピラだが純粋で優しい男ロッキーがひょんなことからチャンピオンと戦えるチャンスを得た。
そこから自分のプライドをかけた挑戦が始まった。

人間くさい熱い男の挑戦する姿に、それまで燃えていた巨人の星やあしたのジョー、そして一番強いと信じて疑わなかったブルースリーとはまったく異なったリアルな努力する男の姿をみたような気がした。

映画館を出ると二人は家まで走った。熱い気持ちがそうさせたのだ。
よし俺はやるぞ。本当に強い男は熱くて優しい男でなくてはならんのだ。
そこから腕立て、腹筋、背筋、懸垂、ランニングが日課になった。

勿論生たまごの一気飲みも行った。腕立ては片手腕立てができるまで両手で100回、懸垂も片手懸垂ができるまで両手で50回、たまごはたまごアレルギーでありながらも、2、3個からはじめ、リバースしそうになりながらもど根性で一気に10個飲めるまで増やしていった。こんなことをほぼ毎日やっていた。

スェットというのもロッキーで知った。
早速スーパーでチャンピオンかラッセルか何かのグレーのスェット上下をお袋にねだって購入。
膝がすりむけアナがあくまで毎日着ていた。トレーナーはさすがに着ているだけでは穴が開かないので自分で穴を開けた。

そしてヘアバンド。これもロッキーのマストアイテム。当時はビヨンボルグかだれかがつけていて流行していたと思うのだが、近所のスーパーには無く、はじめは鉢巻だった。しかし鉢巻を日常しめているのは明らかに変なので、わざわざ仙台の中心街のスポーツ用品店に買いに行った。

中学二年の冬くらいには腕立て連続100回、片手腕立てで20回くらいできるようになっていた。そのやり方はロッキースタイルだ。これはしっかりとしたフォームでなかなかきついのだ。

ロッキーがミリタリープレスを行っていたので親父の錆びでしっかりコーティングされたバーベルを使って40kで連続20回くらいできるまでがんばった。
とにかくトレーニング種目はロッキーがやっていたものとそのまんま同じものをやっていた。それで彼のような身体になれると信じていた。

自慢ではないが高校卒業するまで超回復は知らなかった。やればやるだけ強くでかくなると信じていた。しかしやれどもやれども筋肉質にはなるのだがバルクが増えなかった。体重も65k程度だった。
思い起こせばいつも無駄の多い人生だった。

しかしやってもなかなか思うような成果が上がらなかったからこそ不屈の精神が身についた。
ロッキーは男にとって紛れも無く人生を変えた出会いであった。
男の場合ロッキーのテーマさえあればほぼ毎日のように立ち上がれないほどトレーニングすることができた。

これが「志」と言うものなんだろうか。男にとってはモチベーションを維持し続けることはそれほど困難なことではなかった。
~つづく~
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by stagecoach | 2006-12-18 01:40

プレー再開

某じゃてぃー研修会の資料作りのためしばし休止しとりました。
旧式のCPUが搭載されている脳のためいくつかの仕事が重なると、とたんに業務処理能力が低下する私ですが、年末に向け確実に熱さだけはヒートアップしております。
一話が長い・・・とお嘆きの声もあるかと思いますがまだまだ続く予定となっております。
今日は再開に向けてのウォーミングアップと言うことで最近の生活パターンについて少し解説しようかと思います。
朝10時からの仕事に合わせ愛犬のユキとともにカミさんをお店まで送り届け、犬の散歩へと移動します。愛犬のぼけ防止と不測の事態を避けるために毎日散歩コースを変えている。
コースは主に庄川河川敷A、B、C、最近新たに小矢部川河川敷コースD、Eと、負荷をかけるために水道つつじ公園坂道コースである。(近場の方は尾行しないように)
ウォーキングで身体を温めつつ、ストレッチで胸郭を緩め、深呼吸。
首の可動域を改善すると頭部への血流もばっちり。
戦場へと向かう準備OK。
昼飯を2人と一匹分スーパーで購入後、店に入る。
いつもは午後4時くらいからレギュラーの仕事(各学校)へ。
しかし学校はすでに期末考査も終わり午前授業。
今は午後一からスタートである。
私の仕事は学校の時間とともにある。
パーソナルトレーニングはその時間以外の空き時間の中で行っている。
選手の方々には迷惑をかけてるがそこは理解してもらっている。
この時期は事務的な仕事が進めにくい。仕事から戻るとエネルギーの7、8割りは消耗している。そこから原稿書きや資料作りに入る。
大切なのは集中力。やるときは一気にやらなければいつまでも進みません。
根本的に無精者なので、やるべきことの前に一度モチベーションを上げなければならない。
燃えてくれば数時間ぶっ通しでも苦にはならないが、一度ゆるむと復帰するのに苦労する。
自分自身に最もメンタルトレーニングを活用している日常なのであった。
明日は第一話気合入れて活かせてもらいます。って・・明日の夜は父母会に出席せねばいかんのやった!花園出場激励会に行かねばならぬのだ。無事帰ってこれるのだろうか・・・
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by stagecoach | 2006-12-15 22:37

第1話は終わらない~コミュニケーションはチームにとって大切な武器になる~

彼らに話しをするとき、どのような状態で話すかということは重要である。貴重な時間を使って話をするとのだから伝わらなければ意味がない。私は話をするときはできる限り注意をそらす因子を排除するように心がけている。できることならば静かで暑い、寒いのない、集中できる場所が良い。そのためには場所を変える場合もある。

基本は円陣。全員が重ならないように立ち、全員の目が私から見えるように位置どらせること。熱く語りかけるときに用いる。全員座って話を聴く体形。これは話して聞かせるとき。どちらの場合も私は立って話す。
全員立って集まる中、私は座って話す事もある。すでに意識をしているはずであろう状況においても態度に表れてこないときなど、念を押すようなとき。

ひとりを呼んで隣に座らせ、共にチームの活動している姿を見ながら話して聞かせる場合もある。これは昔話や思い出話、かつてこんな奴がいたんだという話を聞かせながら自らを省みさせる場合。

とにかくいかなる手段をとってでもまず「気づかす」ことが大切だ。この対処が遅れるとだんだんとチームの志気は弱まっていく。

「一回集まってくれ!」
しっかり円陣を作って全員がこちらに意識を向けたところで話し始める。
「みんなそれぞれ目的を持って取り組んでいるか。」
話しながら一人ひとり、全員の目を見まわす。目は口ほどにものを言うという。

目的・目標・課題をもって取り組んでいるものはしっかりとした目つきでこちらを見つめている。時には睨んでいるものもいる。こういう連中は何らかのものを持っているのであろう。しかし漠然と取り組んでいるものは目がおよいでるか困った顔をしていることがある。

その割合を確認する。意識のあるものが多い場合、意識あるものに向けて互いに刺激し合うことが如何に大切なことかを話す。
意識のあるものは、それを表にだすことで、雰囲気を高めるよう促すのである。チームを伸ばすのに最も効率が良いのは自分たちで意識を高めあうことである。

指導者に促されるより、仲間に指摘されたり、はっぱをかけられるほうが影響力がある。相互作用が最も効率がよい。私は常に一人ではなくそれぞれの立場で考えさせるようにもっていくタイプである。どんなときでも『つなげる』事を大事にしている。単発では意味がない。つながるからこそ動き出すと考えている。

私が彼らと関われる時間は短い。一週間のほとんどが自分たちで練習に取り組んでいるわけだから、自分たちで刺激し合うようもっていかねば、チームの成長はありえない。私はフィットネスにおいて、受け持つ時間以外の自主的活動においても積極的に取り組ませるよう導く責任がある。

「意識の高いものは自分自身を伸ばそうと取り組む姿勢は評価できる。しかしなぜ努力するのか。チームの勝利を第一目標に取り組んでいるのではないか。」
「自分だけが良くなってがんばることができても、仲間ががんばれなければ強いチームにはならない。」
意識の高いものが、そうでないものに声をかけるということは非常に大切なことである。

持ちつ持たれつと言うがみんなが積極的にがんばれるという集団は少ない。引っ張っていくもの、それに刺激されてついていくものがあって良いのだと思う。だからキャプテンは勿論のこと、意識の高いものが協力してチームメイトに働きかけていくようでなければならない。
手っ取り早く言えば意識の高いものが小さい気持ちでは成長できないのである。ダメだと思うなら、伝えなければならない。

永平寺という有名なお寺を尋ねたとき、「わかっているものが行動しなければならない、わからないものにはできないのだから・・」というような言葉をめにした。どっちがいいとか悪いとか小さいことを気にしていては前に進んではいけない。

私もけしかけるだけではいけない。
高校生たちはコミュニケーションの仕方が未熟である。これは今に始まったことではない。若者は友達だけでなく、親や先生、親戚など様々な人と話し合う機会が少ないのである。挨拶をするしないとかの問題ではない。

思いを伝え、それについて相手の思いを聴く。互いに理解し合うために如何にすればよいかをという経験を積んできていない。夫婦に会話がないなどと言われるが、会話をしないでいると相手に依存するようになるか孤立するようになる。

誤解というものはごく簡単に生まれるものであるが、できるだけ誤解を受けないようしっかり自分の気持ちを伝える必要がある。そして相手の思いを引き出すことも必要なのである。

そういう意識が互いにあれば、互いに一生懸命理解し合おうとするから短い時間の中でもある程度意志の疎通は成り立つのである。
そのようなコミュニケーションが彼らの中である程度できるようになるまでは、レフリーのような存在が必要であると思う。私が当面レフリー役を担う。
言う立場、聞く立場にそれぞれ必要なのは相手を思う気持ちである。

心の中で仲間を思う気持ちが持てるように、導いていかなけれはならない。表現の仕方が未熟なために誤解を招くことは良くあることだ。どのように言えば上手く自分の気持ちを伝えることができるのかも場数を踏まなければ上達しない。若者は少しのことで傷ついたり、へこんでしまうことが多い。そのたびにフォローする必要がある。時には目の前でそれぞれの気持ちを出させあう時間を持たせることもある。 ~つづく~
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by stagecoach | 2006-12-07 00:12

第一話 つづきのつづき

「調子はどうだ」と聞く。「いや、だいじょぶです。」と返ってくる。
だいじょうぶとはなんだ! だいじょぶそうじゃねえから聴いてんだろ!
こんな奴もいる。僕にかまわなくて結構ですみたいな態度。

しかし大概は声をかけると何らかのリアクションは返ってくる。
はじめのうちはびびって返事ができない奴が多かったが、少しずつ話ができるようになってきている。

男が嫌いなことに「人の顔色みて話すな」がある。いまどきの奴らは大人の顔色をみて話す。この人はどういうタイプか、どう接すれば満足するか、そして上手いこと合せようとする。

しかしだ、そうはいかねぇのである。子どもたちには相手がどうであろうと自分の思いを素直に伝える勇気を持って欲しいと思っている。まあそういう子どもに育てたのは紛れもなく大人たちであることは間違いない。よく日本人は自己主張が苦手と言うが、こんなに自己主張が上手くできない子どもたちは日本人を超越しているのか。

上手いこと合せている奴は集中力がない。ちょっとするとすぐ周りの様子を伺い始めるからである。自分自身が見えていない。こういう奴は返事だけは素晴らしいのである。

こんな中でやれ県大会ベスト4だの、全国大会出場だの言っていても言うだけタダみたいなもんです。本心はまったく考えていませーんてな感じ。
なぜこんな雰囲気で活動し続けることができるんだ。お前ら人生、無駄使いしてんぞ。生きたくても生きれねえ奴もいる、無念さを引きずって逝ってしまう奴もいるのに。なんと理不尽なことか。

さてやる気のないものを発見したのは良いがどうしたものか少し思案してみる。こういう時は「集合!」である。ドリフでも他のメンバーがいい加減なことをし始めたら必ず長さんが集合をかけていたものだ。ちなみに私は高校の頃、志村けんが股間に白鳥の着ぐるみをつけ登場したかと思いきや先端からクラッカーを発射させるギャグに奥深さを感じていたものだった。

「お前ら集まれ!」再び言う(少し気合を入れる)。
もう生徒たちの中には、誰かやる気のない奴がいたんだなと感のいい奴は察している。そしてこの後の話が長いこともわかっているだろう。

自分がやる気がないことに気づいていない者たちに「気づき」を与えるために、更に少しモチベーションが下がってきつつある者のためにもいかなる話をするまいか考える。ここが本日の最大のポイント。
ここで失敗すると今日の仕事は負けなのである。

ジャンルは理論的説明編、スポーツ選手の裏話編、泣けるチームワーク編、感動のアンビリーバボー編、坊さん説法編、仲間意識編、誰かの代弁編、他のチームの場合編、動物編など様々なところから状況に適した内容を瞬時にセレクト。

当然、話のインパクトを最大限に引き出すために奴らの話を聴く体勢、姿勢からガツンといく。
基本は丸くなって話を聴く場合は全員が重ならないように立ち、全員の目が私から見えるように位置どること。これは主に熱く語りかける場面で用いられる。  ~つづく~
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by stagecoach | 2006-12-05 00:23

第一話 つづき

ある日の夕方いつものように仕事に向かった。
愛車のポルシェ(だと思って乗っているMINI)に乗り込み、いつものごとく道中、車の中では少しずつモチベーションをあげていくシステムが働いている。

このあたりの調整がやや難しく、あまりテンションを上げすぎると現場に着いたときあまりにギャップがありすぎ「ジャマイカン・イン・ニューヨーク」ような状態に陥ることがある。テンションが低いと奴らのテンションも低いままセッションに入ってしまう。一度スクワットでマックスを挙上し神経興奮の閾値を上げた上で、少しレストを入れて爆発的maxジャンプをするような調整が必要かもしれない。

現場に着くと挨拶から生徒のテンションが高い。おっ今日はいいかもしれない。しかし簡単にはだまされてはいけないのである。最近では生徒も私の性格を把握してきている。桜島が噴火しないようにどう対処すべきか心得ているものも少なくない。しかしそのような気配を感じない私ではない。

はじめはテンション高く取り組んでいるように見えても、少し経つと目的を持たずにいい加減にやっている奴らを発見。かつてはすぐにそのような場面で闘魂を注入していた(誤解の無いよう言うが私は十数年人を殴っていない。私の場合熱い語りが武器である。)が、最近はその生徒の近況を察する余裕も出てきた。

最近何かあったのかも知れない、調子が悪いのかも知れないと考える。と考えた上で熱く語るのである。結局同じである。気づかせるいろいろな方法はあるのだろうが、私は話で勝負している。

その男が押さえどころとしているのが生徒をスタートラインに立たせることである。何事もスタートラインに立たなければ物語りは始まらない。スタートラインにつくことでその生徒の奮闘記が始まるのである。

弱いものでスタートラインが人より後方にあるとあきらめてしまうものも多い。周りを気にするあまり自分の本来の位置を見失うか、見えないようにしてしまっているように見える。

スタートラインに立つと言うのは自分の現実の姿を受け入れることにある。上手くない、センスがない、体力がない、気持ちが弱い等いろいろあると思うが、それが今の自分なのだから仕方がない。勿論良いところもあるのである。

しかしそんな時はネガティブな事ばかりに目がいってしまい、ポジティブな見方をできないのは子どものころは良くあることである。ポジティブに自分を受け止めるためには自信をつけさせて上げなければならない。「俺は俺なんだ!」と良く解らない自信でもいい、まずは何かで自信をもたせてやらなければいけない。

スタートラインに立つことは自分に自信を持つまでの奮闘記をスタートさせると言うことなのである。~つづく~
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by stagecoach | 2006-12-03 21:52

熱中時代 コーチ編

『熱中時代 コーチ編』

第一話「現場に帰ってきた男」

その熱い男は、どこにでもあるような平凡な地方の部活動のチームで熱弁を揮っている。日々何とはなしにスポーツに取り組んでいる生徒たちに「そんなんでいいのか」と問いかけている。

別にいいんじゃないと思うのだが、この男「まあ自分の人生だからそのうち気づけばいいさ」などという悠長なことで済まされる人間ではない。しつこいのである。

「やればできる」と信じて疑わない性質から何とか気づかせたいと考え、いつもどうすれば真剣に生きてみようと思うようになるかを模索している。

職業ストレングスコーチ。かつて教職に身をおいていたことがあるのだが現場の体勢に矛盾を感じ、組織から離れた。民間の仕事に身をおきながら自分の進むべき道を思案してきたが、今は民間の立場として仕事を通じて学校教育に関わっている。形を変えて再び現場に帰ってきたのである。

「弱きを助け、強きを挫く男」だと自分では信じている。(人には反対だと言われる)常に逆境に身をおきたいと考えている。決して守りのチームはサポートしない。常にアグレッシブを求めるからである。チャレンジすることに生きる意味を見出している。

【チャレンジ】には【情熱】が不可欠である。常に自分を追い込みながら情熱の炎を燃え上がらせている。それがウザイと思われることもよくあるが、そんなことでへこむ男ではない。お構いなしに自分の道を突き進んでいる。

その男の信条は「強くなれ!」である。この男にとって一番の喜びは、ダメだ、無理だと思われているものが奇跡の逆転劇を遂げること。これ以上に人生でファンタスティックなことは無いと考えている。

この男にとってそのような奇跡のストーリーはどんな分野でも良い、人でも犬でも馬でもサルでも何でも良いのである。努力が報われたという事実にエネルギーを満たされ、明日への活力にしている。

しかし現実はというと、いかなる情熱も、その程度の炎では山火事どころかマッチの火ぐらいのもの。この世の中で何かを変えようとするのは並大抵ではない。この全体的なテンションの低さ。大人たちが燃えていないから子どもたちが燃えるはずがない。

-べつに-嫌いな言葉のトップファイブに入る返事である。どこでもそうだと思うが多くの場合、現状を変えたいと思う強い気持ちが湧いてこない。自分の現状がどうであるか考えたこともないのかもしれない。

このままではいけない、自分を変えてみよう、何かをしなければならないと思っている人間はどれだけいるのだろうか。そう思える日々を過ごしている。

しかしそこはこの男愚痴だけでは終わらない。自分の周りだけでも燃やしてやると思っている。寝ている子を起したいと考えているし、豪雨の後、地を固めたいと思う非常に危ない人間である。

戦争や天災などの非常時にはその力を如何なく発揮できるが、平和な世の中には波風を立て極めて迷惑な人材である。正に僕の先生は嵐のないところに嵐を巻き起こすのである。人によっては非常にありがた迷惑な存在なのである。 ~つづく~
    
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by stagecoach | 2006-12-01 22:14

はじめに

ブログのタイトルについて
「強くなれ!」は私自身が若い時、強くなりたくてがんばってきたことを振り返ってのテーマです。同じような境遇、思いを持つ人たちにも強くなってもらいたいという思いがあります。マイノリティだからと言ってやられっぱなしではいけない。あきらめてはいけない。

負けないために一生懸命勉強し、身体を鍛え自分を高めるのだと私は思っています。先制攻撃のために強くなるのではありません。やられて黙っていてはいられない。そのために「強くなる」ということです。


ふと思いつきでストーリー形式でブログを書いてみることにします。これから語る物語はフィクションです。極めて事実に近いこともありますが、あくまでもフィクションです。どこまで続くかは未定です。ネタがなくなり次第終了いたします。私のチャレンジです。あしからず。

このストーリーは、私の経験を元にしているのは勿論ですが、私の人生の中で強くインスパイアされた事柄がところどころちりばめられています。例えばタイトル。熱中時代は、私が小学校の頃の人気番組です。「僕の先生は~ フィーバー♪」のテーマ曲は当時大ヒットしました。その頃、北野 広大先生(水谷 豊)のような先生が担任だったらいいなと思っていた小学生は少なくなかったはずです。どこまでも純粋に子どもと向かい合う姿、それでいて普段は滑稽な面白いお兄ちゃん。私は「かっこいい大人だな」と憧れた思い出があります。

あらかじめお伝えしますが、この先は熱過ぎて非常に危険になりますので、「ゆるいのが良いなあ・・」とか「熱いのウザイ!」などアクの強いのが苦手な方はこの先ご遠慮ください。そのような方にとって楽しさは感じられないと思います。やるかやられるか、がけっぷち、死ぬか生きるかなど逆境が大好きな人はそれなりに楽しめるかもしれません。
以上の注意事項をご確認の上お読みください。
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by stagecoach | 2006-12-01 21:43