高校生くらいまでは感性が強い。
大人になるにつれてものごとを理屈で捉えるようになる。理屈で考えることで効率は良くなってくるが定着力は弱くなる。感覚で捉えることは効率は悪いがしっかりと体に残る。 生涯心と体に残ることはそういった感性で捉える時期に出会ったものではないだろうか。 そう考えたとき今の子どもたちにそのような出会いはどれだけあるのだろうか。 心理学は様々なヒントを与えてくれることがある。 ある実験で個室に学生を入れて机の上にパズルをおいておく。一つはこのパズルを時間内に解くと報酬を与えるという条件をつけ、もう一つは何も指示せずにただパズルをおいておくだけという中で学生はどういう行動をとるかというものであった。(と思う) 条件付けられた部屋の学生は一生懸命パズルに取り組んだが時間になるとやめてしまった。 条件を与えられていない方はなんとなくパズルを始めていたが時間を気にせずパズルを解き続けることに熱中していたものが多かったそうである。 この実験は内発的動機付けと外発的動機付けというものに付いての実験であった。 外発的動機付けとは一時的にモチベーションを高める効果はあるが長続きせず、内発的動機付けによって高まったモチベーションはより持続力があるということであった。 本当にやりたいと思ったことは継続して取り組むことができると言うことである。 我々の感覚では一つのことをじっくりやり続けていればそこに何かを見出し楽しさも感じれるようになるという考え方が一般的かもしれない。 何度もころころとやりたいことを変えることには否定的な考えが多い。 日本人は非合理的なことに高いテンションを持って取り組む、欧米人は合理的でないことには積極的に取り組まないとある人が言っていた。 確かに日本人は無駄ではないかと思われるところに大変な意識を払う傾向がある。外国人からみれば何でこんなところに神経を使うのかというところに。しかしその超無駄なところが日本のものづくりを世界が認める品質の高さにまで押し上げたのも事実である。 とにかく今の高校生にどのようにしたらモチベーションを高めさせることができるのだろうか。人がなんと言おうとやりたいと思えることを持つにはどうしたら良いのか。 マンガがフランスでクールな日本文化としてはやっているのだそうだ。 マンガの歴史は古い。男もマンガの影響を受けたひとりである。 小学の頃はドカベン。銀河鉄道999。こまわりくんや東大一直線などのギャグマンガも流行った。 そんな中で男が最も影響を受けたマンガが「1・2の三四郎」と「空手バカ一代」であった。 ギャグと劇画の違いはあるがどちらも男にとって生き方のお手本のようなものだった。少年時代、マンガや映画は自分の知らない世界を知るための良き教材であった。どちらのマンガも一般の常識をはるかにぶっちぎっていた。ぶっちぎるということが男にとって最も凄いことだった。 こんな生き方をしてみたい。こんな人間になりたいと真剣に考えていた。 それから何十年もたって今一度読み返してみたが再びあの頃の思いが蘇ってくる。そして今の自分を振り返るとその性格や行動に確実に血となり肉となり現れていると感ずるのだ。 ディープインパクトを上回るインパクトである。どこまでもバカ一代なのである。 マンガはその時代を反映するものであるが、例えマンガであっても良い作品に出合えるということは人生を変えることにつながる。 そして唐突ではあるが「アントニオ猪木」。今の猪木しか知らない人はかわいそうである。 男はアントニオと札幌中島スポーツセンターのトレーニング室で偶然出会ったことがある。確かベンチプレスか何かをしていたことをおぼえている。全盛期の猪木はとてつもなく凄かった。 男がアントニオを知ったのは、祖母の影響である。小学低学年の頃、当時80を越えるばあちゃんの大好きな番組と言えば相撲中継とワールドプロレスリングであった。ばあちゃんは猪木が好きであった。 深夜こっそり間借りしていた家の居間にあったテレビをイヤホンで視聴しながら2人でエキサイティングしていたことを覚えている。ちなみに母はプロレスが大嫌いであった。 何回かプロレスをライブで見たことがあるが、実際猪木のかもし出すオーラはとてつもなく凄かった。そして「いつなんどき誰の挑戦でもうける!」というフレーズに心を奪われていた。 中学の頃調子に乗ってそのフレーズを使い袋叩きにあったことがある。誰でも使えるフレーズではないのである。 猪木の凄さはそのすさまじい執念である。やられればやられるほど燃えてくるのである。燃える闘魂とはよく言ったもので魂というものの凄さを教えてくれた。 男もやられればやられるほど燃えてくる人間である。 やられにやられた猪木が立ち上がって反撃するときには手段を選ばない。確実にしとめる技を使うのである。猪木がこぶしで顔面を殴る反則を犯しても、解説者は「出ました猪木のナックルアロー!」などと技として認定してしまう凄さがある。 アントニオの話は語ると一冊の本になってしまうのでやめておこう。 要するに感性で生きていた少年時代にぶっちぎった男たちが生きる手本になったのである。 たのきんトリオやアイドルに熱中する周りの連中とは完全に異なった道を歩んでいた。
by stagecoach
| 2006-12-27 23:43
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